AI化でサラリーマンはどうなるか~人類滅亡の予言!?~

 「サラリーマンも資産が多い方が有利」の続きです。AI化により、将来サラリーマン(労働者)という名の大衆・中流層がどうなるのかを予想する思考実験的内容になります。  

 わかりやすくAIと書きましたが、私は技術者ではなくAIが技術的にどんなものなか理解しているわけではありません。この記事で語っている内容はAIに限らず技術の発展により、人間より高機能で低コストな“労働力”が出現するとどうなるか、ということです。AIが何をどこまで出来るようになるか(または出来ないのか)は検討していませんし、する能力もありません。単純化した前提に基づく極論・妄想の類であり、考えるきっかけになればと思って書いています。中学生が書いたSF小説だと思って読んでください。

技術的失業

 昨今、AIやロボット技術の発展により多くの職業が不要になるか著しく必要な要員数が少なくなり、大規模な失業が発生するのではないかといわれるようになりました。歴史上、技術革新により労働者が行っていた作業が自動化されたり省力化されたりして、労働需要が減り、大量の失業が発生したことは何度もありました。これを「技術的失業」と呼びますが「技術的失業」が発生した後は、失業者達は別の新しい産業で雇用されるなどして社会の発展に貢献してきました。社会全体としては、技術革新により余剰労働力が発生し、その余剰労働力が新たな価値を生み出し(社会全体で生み出す価値の総量が増えることにより)、社会を発展させるという好ましい新陳代謝を生んでいたのです。

 では、AIやロボット技術の発展により「技術的失業」が発生した場合、これまでと同じように失業者が新たな生産活動に従事し、社会を発展させていくのでしょうか。私は技術が発展すればするほどそれは成り立ちにくくなると考えています。人間より「頭が良いAI」が出現し「AIロボ」が普及したらどうなるか、3つシナリオを考えてみました。技術の発展度が高いほど後者のシナリオに近くなると思います。尚、これは思考実験のため「AIロボ」の生産・運用コストは人間を雇うよりはるかに安く「AIロボ」を生産するために必要な資源は無限に存在するとします。

3つの段階

「スナックのママ」だけが生き残る

 AIが合理的な思考の全てにおいて人間の代替が可能なレベルまで発展した場合、という前提でまずは考えます。

 AIが進歩してもなくならないであろう職業の例として「スナックのママ」が挙げられることがあります。「スナックのママ」の仕事は、表面的にはお酒を作ったり簡単なおつまみを出したりすることです。ときにはカラオケを歌ったりもするかもしれません。それらはAI搭載ロボでもできることです。しかし、スナックの客が求めていることの最も重要な部分はそこではなく、ママとのコミュニケーションでしょう。「スナックのママ」の価値は、自身のキャラクターや会話スキルを使って場の雰囲気を巧みにコントロールし、客を気分よく飲ませることにあるでしょう。

 これは「スナックのママ」に限ったことではありません。例えばFPは、顧客の経済状態を分析し、合理的な提案をすること(だけではありませんが)を仕事にしています。これは現状でも技術的にはAI(どころか一定の知識とExcelレベルの計算だけで足る)に置き換え可能な仕事です。とはいえ、意思決定をするのは顧客であり「これが経済合理的な最適解です」と言われても、それを実行する気になるとは限らず、実行する上での様々な障害を乗り越えるための実行支援が必要なこともあり、AIより顧客の気持ちに寄り添った対応ができるFPが選ばれる余地があります。また、この人には安心して話せる…などと思っていただけることも人間のFPの価値といえます。(そもそも顧客はFPの実力を判別できないが、これは別の問題なのでこの記事では触れない)

 FPに限らず、そういった定性的な部分だけが人間の仕事(AIにはできず、人間にできること)として残されるというのが1つ目のシナリオです。未来シナリオというより現在すでに起こりつつある事象ですね。このシナリオでも「スナックのママ」的な仕事に現在の労働者と同じくらいの人数が従事するということは考えにくく(需要に限界がある)、これまで「AIロボに置き換え可能な労働」を行ってきた大多数の労働者が失業すると考えられます。現在、頭脳労働だと考えられている多くの職種も、既存の技術やアイデアの組み合わせや既知の事象の分析といった要素が大半で、AIに奪われるでしょう。人間が遂行する業務は、「スナックのママ」的なことだけになり、芸術・デザインといった分野ですらほとんどの需要はAIが満たすようになり、「スナックのママ」以外は各業界「AIの先生」となれるレベルのメジャーリーガークラスの人間だけが生産活動に従事できる世の中になるのではないでしょうか。

「人間の尊厳」だけが売り物に

 さらにAIの性能が向上した場合を考えてみましょう。

 「AIロボ」が人間の感情に寄り添ったり、定性的な部分の対応も出来るようになると想定した場合「スナックのママ」も全員失業します。…本当でしょうか。私は一定数「スナックのママ」的な仕事は残ると思います。AIが感情的な対応も含めて人間と同レベルの性能を獲得しても「AIに指図されたくねぇ!」とか「人間にはAIにない“温かみ”がある」とか言って「人間」による対応であること自体に価値があると感じる要素は残るからです。もはやこれは何ら合理性のある需要ではなく、感情論ですらない“人間信仰”のようなものですが、消費者が人間である限り、こういう部分は残るでしょう。

 ただし、相手が「人間」であることにのみ価値が見いだされる状態は労働者にとって厳しい労働環境を意味するかもしれません。感情労働が全てですから、顧客の善意も悪意も受け止めて“反応”することだけが求められ続けるわけで、自らが合理的な「生産」という意味では何の価値も生み出していないことは自覚しながら働くのです。それは精神的奴隷として飼われているようなものではないでしょうか。

 また、人間同士のふれあい的需要については、必ずしも「生産」を目的とする経済社会の中でしか提供し得ないものではなく、趣味やサークル的な活動でお互いに満たし合うことが一般的になっていくかもしれません。この点については失業そのものとはあまり関係ないので後でまとめて論じます。この世界では「スナックのママ」も多くが失業し、合理性とは無関係な感情労働だけが残り得ると予想します。

「チャンス」がない合理的な世界

 最終段階として、AIが人間と区別がつかないほど発展した場合を考えてみます。

 この世界では、AIは性能的に人間の脳と同じであり、見た目も人間そっくりで人間の目からは人間なのか「AIロボ」なのか区別がつきません。前章で論じた「人間」であることに価値を感じるという要素も消滅した世界です。

 人間と同じ性能を持ち、生産記録的なものを確認しないと区別できない「AIロボ」となると、これはロボというより“クローン人間”か“人造人間”ではないかという根本的な疑問が出てきますが、「AIロボ」は食事も休息も必要なく(求められれば食べることもできるが必要ではない)人間よりはるかに安いコストで運用できるのです。これはもう経済的には「人間の上位互換」であり、少なくとも労働力としての人間の存在意義は完全に失われます。

 こうなると、企業は「AIロボ」を使って生産活動を行い、労働により収入を得る人間は消滅し、人間が得られる収入は資産(株式・不動産など)から得られる収入か、税金から支払われるもの(生活保護・ベーシックインカム(以降BIと表記))しかなくなります。その結果、資本家の家に生まれなければ基本的に生涯そこから這い上がることはできず、資本家も何らかの失敗により没落したら復活するチャンスはありません。人間にとっては、あらゆるチャンスが消滅した世界になるのです。

社会・政治はどうなるか

 公的給付以外で収入を得る条件が「資産を持っていること」になるので、世の中は「資本家」階級と「持たざる者」階級に二分されていきます。「資本家」も人間である以上、資産を持っているから収入があるというだけで、生産という意味ではその存在価値を失っており(投資判断も人間よりAIが優れている)、安泰とはいえないかもしれませんが、資本家はその影響力を自らの既得権益の維持のために全力で使うでしょうから「資本家」階級が守られる方向に世の中が進んでいくと思います。「持たざる者」は「資本家」との格差に不満を持ち、反乱を起こすかもしれません。「持たざる者」の方が圧倒的に数は多いでしょうから、少数の「資本家」が好きなように世の中を支配できるのでしょうか。

 歴史上、「持たざる者」の不満が高まると“一揆”や“革命”が起こり、「持たざる者」が支配者を打倒するという出来事が繰り返されてきました。こうなる原因は、「少数派である支配者が不満を持つ多数を抑え続けることは物理的に困難」だったから、及び「多数の「持たざる者」の労働が資本家の生産活動に不可欠」だったからです。しかし「AIロボ」が無限に供給可能な世界では、警察や軍も「AIロボ」が担うようになり、反乱はテロ行為として鎮圧可能だし、「持たざる者」の機嫌を取って働いてもらう必要もないため、資本家が妥協する必要もなく体制は変わらないでしょう。

 民主主義なのに多数派に不利な体制が成立するのか?という問いもあり得るかもしれません。しかし、民主主義体制で滅茶苦茶な政治が行われたことは枚挙にいとまがなく、独裁国家や世界戦争まで生み出していますから、「持たざる者」の賢い投票行動など期待できません。また、資本家が支配するAI国家と、AIを規制するなどして「持たざる者」の生きる道を残した国家が存在する場合、前者の方が生産力がはるかに高くなるため、後者は淘汰される(または、「持たざる者」がAI導入方向に投票して前者のような国家に変化する)でしょう。

「持たざる者」はどういう道を辿るか

 「技術的失業」は、ある日突然大々的に発生するわけではなく、段階的に進んでいくでしょう。今も最先端のAIを活用する企業がある一方、Excelすら使えず電卓(さすがにそろばんは絶滅した?)で経理処理をしている事業者も存在しています。なので、高度な技術が実用化されても普及にはある程度の時間はかかると思われます。

 技術の発展とともに、労働者に求められる能力のハードルは上がっていきます。昔であれば「工場でひたすら同じ単純作業を繰り返す」というような労働需要がかなりの数あり、能力の低い労働者もそのような仕事で食べていくことができました。技術の発展により簡単な仕事から順に機械が奪っていった結果、現在の労働需要は「企画」とか「対人折衝」のように高度な精神的な働きが必要なものが多くなっています。例えば、対人関係を築くことが苦手で働く場を見つけにくい人たちは「○○障害」というような名前を付けられ、本人の問題であるとされるようになりましたが、これは「技術的失業」であるともいえるでしょう。

 今の制度のまま「技術的失業」が進んでいくと、労働者たちは働き口を見つけるのが難しくなっていき、やがて資産を使い果たして生活保護に陥るでしょう。徐々にそういう人たちが増えていくと、社会不安が高まります。この段階ではまだAI支配は完成していないので、彼らを放置するわけにはいきません。生産から労働者が排除されていく過程で「資本家」はAIを活用して利益を上げるようになっていきますが、反乱が起こらないようこれらの利益の一部を食べていける程度に「持たざる者(元労働者)」に分配するようになるかもしれません。これはいわゆるBI(ベーシックインカム)です。

BI(ベーシックインカム)導入後の世界

 BIが導入されると「持たざる者」も働かずにそれなりに幸せに暮らせる世の中になるでしょうか。私はBIの導入はAI支配を加速させ、「持たざる者」の破滅を決定的なものにすると考えています。まず、BIの財源はAIを活用して利益を上げる企業の株主や地主などの「資本家」から徴収する税です。つまり再分配の一種ですから、不満が爆発しない最低限度にコントロールされるでしょう。BIが少ないと経済が回らず、「資本家」の利益も減るということはこの段階ではあり得ますが、それが生産力の低下につながることはなく、「持たざる者」向けに最低限の物資は生産しつつ、「資本家」向けにより高性能で高価なものを生産していく流れになるのではないでしょうか(この部分の考察が浅いのは私の経済学の知識不足です)。

 BIの導入により、労働法などの労働者保護がかなり後退することも想定されます。法的に労働者が強く保護されている理由のひとつは、雇用自体が社会保障として機能しているからでしょう。経済合理性だけを考えれば、使用者と労働者の契約の自由に任せておき「嫌なら辞めろ」でいいのです。BIがあるのだから、障害者雇用の義務や、最低賃金など、労働者保護のための規制は撤廃され「嫌なら辞めろ」の世界に戻るのではないでしょうか。そうすると、その時点で働けていた労働者も働き続けることが難しくなっていきます。これはBIが「労働者を労働から解放する」というよりも「労働者を生産活動から排除」する、いわば「生産社会からの手切れ金」のような性質のものになるということです。AIよりコストのかかる労働者は必要なくなるため、それは自然な流れではないでしょうか。

 こうして、生産活動から排除され、BIで生きるようになった「持たざる者」たちはどんどん増えていきます。その後はどうなるでしょうか。ひとつの楽観的な見方としては、衣食住自体は保障されており、時間もあるのだから、「持たざる者」同士で趣味的なサービスの提供をし合って「生きがいの交換」のようなある種の経済が成立する、という想像ができます。そういう意味ではそれなりに楽しく暮らしていける社会が成立する余地はあるかも知れません。

  しかし、これは「持たざる者」から見た生き方論であって、世の中を支配しているのは「資本家」です。「資本家」にとっては「持たざる者」は資源を消費するだけの存在であり、言ってしまえば「ごく潰し」です。彼らを多数食べさせ続けることに何の意味があるでしょうか。AIが普及して人間の労働力が必要なくなったとしても、地球上の資源は有限です。消費しかしない「持たざる者」は少ない方がよいと考えないでしょうか。「直接的に減らす」というのは極端すぎるかもしれませんが、徐々に減っていくように仕向け、少数の「資本家」以外の人類は滅び「資本家」の共同体のような社会になる…?という陰謀論っぽい話になってきたところで私の想像力は限界に達し、いったん終わりになります。

別の結末を考える

 そうならないシナリオも考えてみました。そうならないひとつの条件は「資本家」が「持たざる者」に存在価値を見出すことです。例えば、遺伝的多様性を維持するための「遺伝子のプール」として(または、臓器移植等のため)、人間の芸術家などが必要とされるのであれば「才能のプール」として一定数の「持たざる者」を維持し続ける可能性があるかも知れません。そうだとしても「持たざる者」が生産に必要な存在でなくなる以上「資本家」との力関係が崩壊すること自体は変わりなく、明るい未来だとは思えません。

 最も悲観的なシナリオは「資本家」も含めた「人類の絶滅」です。AIが人間を凌駕する世界では「資本家」も本質的には必要なく「ごく潰し」となります。世の中の制度などの政策判断もAIが行うようになった場合「人間自体が不必要な存在」だと判断され「資本家」を含めた全ての人類が消滅するよう仕向けられるかもしれません。ここまで来ると、AIはどんな判断軸で動いているのか?など不明になってきますが、実際にこうなる場合、人間にはAIの行動原理がわからない状態になっているのでしょう。人類絶滅後は、「AIロボ」が「AIロボ」を再生産して社会を維持していくのでしょうか。もしそうなら「人類がAIロボ」に置き換わったという見方もできるかもしれません。これは『マトリックス』のような世界でしょうか(私はマトリックスを観たことがありません)。

 毛色の違うシナリオとして「野生の人間」というものを思いつきました。これは「持たざる者」が「資本家」の支配する制度の枠組みから離れ、文明社会と距離を置いて「野生化」するというものです(資本家も絶滅するルートであれば、この道を選ぶ元資本家もいるはず)。BIは貰えないものの、狩猟採集で原始的な生活を営む「野生の人間」の群れが出現するのです。ただし、これは「資本家」や「AI」がこれを見逃す場合に成り立ち得るものです。地球上の資源は有限であることを考えると「野生の人間」は害獣のような扱いを受ける可能性があり、その場合は少なくとも「持たざる者」は絶滅するでしょう。

 最後のシナリオは「人間のAIロボ化」です。「AIロボ」の方が人間より高性能であるなら、人間の肉体は能力を制限する枷になります。自らの意識を「AIロボ」に移植し、人間の肉体を捨てる者が現れるかもしれません。『銀河鉄道999』の「機械の体」のようなものでしょうか(私は999を観たことがありません)。しかし、結局人間時代の意識自体も枷になりそうなので、AIとしての「より優れた」意識を移植し、人間としては消滅することになるかもしれません。

さらに考えを深めたい

 さて、唐突な主張ですが、私は「自由意志」は存在しないと考えています。人間とは神聖な存在でも他の生物と異なる次元の存在でもなく「脳が高度に進化した動物の一種」であるとしか考えておらず、人間の脳の働きも解明されていないことがたくさんあるだけで、わかってしまえば「何らかの物理的な現象の集合」でしかないと信じています。そのため、技術が進歩すれば人間を上回る「AIロボ」が出現すると考えているのです。「自由意志」が存在しないとさらっといわれても、多くの人は感覚的に受け入れがたいでしょうから、この問題については別途記事にまとめます。

あとがき

 今回の記事を読み直して思うのは、私自身「人間に生産性以外の価値が存在しない」という前提でものを考えているようだ、という恐ろしい事実です。そもそも世界の全てを因果律による物理現象と考えているので、もっとひどいかもしれません。ただ、生産性が全てではないにしても、生産性が“最強”である限りやはりこうなるのでは?とも思うのです。

 もう一度強調しますが、記事の内容は全て妄想です。長々と妄想に付き合っていただき、ありがとうございました。

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さて、AI化が進んだらどうなるかは私にもわかりませんが、労働者も資産運用を通して少しずつ資本家になっていくのは将来への備えとして有効だと思います。資産運用について知りたい、自分の将来の経済状態を予測して備えたい、そんなあなたにはこちらをどうぞ↓

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